アートスタジオと峰一也
(最終更新日:2006年2月12日)
マンボウさんの謎解きアートビデオその3
「アートスタジオ」の正体と「SM写真家・峰和也」
マンボウさんの力作「謎解き アートビデオ」シリーズから。アートスタジオの正体とアートビデオ以前の峰一也の活動の考察です。
■アートビデオの謎:アートスタジオの正体(前編) 投稿者: マンボウ 11/08[Tue] 23:37:25
前回は、最初期のアートビデオのうち、アートスタジオの作品と思われるものを検証して
みました。私の独断や思い込みもあろうかと思いますが、大筋においては間違っていないと
思っております。
さて今回は、1982年頃に一部の作品に記載されていた「アートスタジオ」とは何だっ
たのか、そして、アートビデオの生い立ちはどのようであったかと言う事について検証し
てみたいと思います。
結論から先に述べましょう。
アートスタジオは、少なくとも、1970年代中頃から80年代初頭まで活動していたビ
ニ本製作(主として撮影部門)の会社?だったのです。
ビニ本とは大人のオモチャ屋などでビニールに包まれて売られたエロ写真集の通称で、
72年の「下着と少女」(松尾書房)がその第一号と言われていますが、ブームとなったの
は80年にパンティの股間の裏地を剥いで透けさせた、いわゆるスケパンの登場がきっか
けでした。
当時、ビニ本の出版社は200社を数え、毎月300種類が発売される100億円産業に
まで発展していました。
しかしビニ本ブームは81年の夏には急激に終焉を迎えてしまいます。
警察の取り締まりが厳しくなり、版元や販売店が次々に摘発されました。
さらに、完全に非合法なモロ見え本である裏本の登場がビニ本の息の根を止めたのです。
うっすら見えるよりも、モロ見えの方がいい。
気まぐれなユーザーはビニ本を捨て裏本へと群がりました。
200社あった版元はわずか50社へと減少。一部の版元はアダルトビデオメーカーや
雑誌出版社へと転身しました。
KUKI、宇宙企画、アトラス21、白夜書房、英知出版などはこうしたビニ本版元転身組の
成功例です。
それら転進組の中の一つがアートビデオ(当時のアートスタジオ)であったと思われます。
長々とビニ本について語ってしまいましたが、「アートスタジオ」の歴史は、ビニ本の
歴史そのものだったのです。
1975年に、後の最大手となるアリス出版が創業、前後して松尾書房、北見書房、グリ
ーン企画などの大手製作(販売)会社に混じって、「アートスタジオ」という中堅のビニ
本製作会社がありました。(有限会社なのか株式会社なのか、あるいは個人経営なのかそ
の実態は不明です)
この会社は、自社製作、自社販売はあまりせずに、自社撮影のネガを大手会社に売り込む
ことが主体で、時には受注撮影を行う、いわゆるOEMをメインとする会社であったよう
です。
特につながりの強かったのは、アリス出版や北見書房で、特に北見書房とは良い関係にあ
ったようで、多くのOEM作品が北見書房の名前で発売されています。
又、同時期に、「アートプレス」や「ART−PRESS」「アート工房」という出版元
名で、けっこう多くのビニ本が発売されており、既存の出版社に名前だけ借りた逆OEM
「アートスタジオ」の自社出版であった可能性があります。
マンボウも数冊所有していますが、SM系には「初期アートビデオ」そのもののような内
容の作品もあります。
「アートスタジオ」は、当時の業界でも屈指の照明技術を持っていたようで、一般のビニ
本と、SM系ビニ本ではガラリと照明の雰囲気が変わり、特にSM系では、後のアートビ
デオを連想させる、あのバックを暗くして、女体を浮き上がらせる手法が多用されていま
す。
アートスタジオの、この優れた照明技術は、他社の撮影時に照明チームだけが、アートス
タジオによく外注されたと言う事実からも明らかです。
中には、当時すでにSM写真家として頭角を現していた杉浦氏のカメラ、照明チーム「ア
ートスタジオ」などという組み合わせもあったようです。さらには、緊縛師とて濡木氏も
加わっていた可能性を否定できません。
ビニ本や裏本の世界は、一発当てれば一攫千金。
この辺の実態は、今夏に発売された、幻冬舎アウトロー文庫の「裏本時代」(本橋信宏)
に、詳しく述べられています。
自社出版の少なかった「アートスタジオ」ではありましたが、いいタイミングで転身を
はかり、それなりの資金的余力を残したのではないかと推測します。
<お断り>
マンボウのアートビデオ研究に関しては、数多くの書籍、ネットのHPなどの一部を引用
または趣旨のみを転用した部分が多々あります。
本来、それらの部分については、「どこどこからの引用」と明記して記載すべきですが、
私的な考証であるとの理由から、個別にその引用先は記さないことをご容赦下さい。
(以下 後編に続く)
■re:アートビデオの謎:アートスタジオの正体(前編) 投稿者: 西村 11/09[Wed] 22:26:09
マンボウさん、こんばんは。
またまた、恐ろしい原稿ありがとうございました。
マンボウさんの書込みの冒頭を見たとき、「アートスタジオ」という出版会社は全く覚え
がなく、奇妙な感じがしました。なるほど0EMなら納得です。
私にとってのビニ本は「グリーン企画」でした。一番のお気に入りは島田ともこの作品。
他にも、寺山久美、三井綾の傑作グラビアが売られていました。アリス出版や北見書房だ
けでなく、けっこうグリーン企画の下請けもやっていたのかもしれませんね。島田ともこ
は非常にしょぼい一般アダルトビデオに出演しました。アートにも出て欲しかったです。
> 特につながりの強かったのは、アリス出版や北見書房で、特に北見書房とは
> 良い関係にあ
> ったようで、多くのOEM作品が北見書房の名前で発売されています。
うーん、この出版社も覚えていないです。あの頃に戻って、神保町を徘徊したいです。
■アートビデオの謎:アートスタジオの正体(後編) 投稿者: マンボウ 11/09[Wed] 23:10:08
既に書いたごとく、81年になるとビニ本業界は、急速に冬の時代を迎えます。
そんな環境の変化に直面した多くのビニ本業者が、アダルトビデオの世界へと転身して
ゆきます。
ちょうど、70年代後半に家庭用ビデオが松下とソニーから販売され、80年ごろから
少しづつ一般家庭にも普及し始めた時期でした。
しかし、なぜアダルトビデオだったのか?
考えてみれば当然の事でありました。
ビニ本製作会社が既に持っていたもの・・・・。
それが、そのままビデオ製作に必要なものばかりだったのです。
女優のスカウトや手配、撮影場所の選定、当日の照明機材、そして何より大切な販売ル
ートの確保。
どれをとっても、ビニ本と共通のものでした。
ビニ本時代の有形無形の資産が、無駄にならないもの・・・それはアダルトビデオしか
なかったのです。
しかし、同じアダルトビデオでも、アートスタジオはなぜSMのジャンルに特化したの
でしょうか。
アートスタジオはビニ本時代にSM作品を全く制作しなかったわけではありません。
また、SM作品においては、かなりの評判をとっていた会社でした。
けれども、製作数のうちに占めるSMの比率は、ごくわずかでした。
最初期のアートビデオ(アートスタジオ)の作品の中に、私はその手がかりらしきもの
を見つけたような気がします。
それらの作品に、男優として、今では考えられないような方々が登場します。
杉浦則夫氏・・・・セーラー服縄地獄など数作品(あの著名なSM写真家です)
不二秋夫氏・・・・狂い泣く肉奴隷 (現不二企画社長)
濡木痴夢男氏・・・淫狼の牙、セーラー服縄奴隷など多数(男優としても出演)
SM業界の方のお顔をあまり知らないので、まだいらっしゃるかもしれません。
彼らが、素顔をさらしてアートビデオに出演し、たとえ擬似にしろファックシーンまで
演じてしまう・・・・。これは、いったい何を意味するのでしょうか?
若気の至りだけで片付けてしまうには、なにか違和感が捨て切れません。
そして、ある仮定に気づきました。
「彼らこそ、ビデオ会社としてのアートスタジオの創立メンバーではなかろうか?」
全員がそうではないかもしれません。
また、画面に現れない創立メンバーもいたでしょう。(峰氏はその内の一人です)
彼らの繋がりの中心にいたのが、杉浦氏と峰氏だったのではないでしょうか?
あるサイトに、峰氏(=河村氏)の経歴を次のように記載していました。
「以前は有名歌手のバックバンドをつとめていたミュージシャン、アルバイトで?写真
家のアシスタントや自分でスチールカメラマンもやっていた。ビデオ会社(アートビデ
オ)をはじめる時に黒田氏と『SMでもやってみるか』ということで意見が一致して、
SMビデオ会社、アートビデオがスタートした。」
全てが事実ではないかもしれませんが、真実の一部を伝えているような気がします。
峰氏のカメラマン助手というキーワードは杉浦氏を連想させます。
又、アートスタジオは杉浦氏とビニ本撮影の仕事で繋がりがあります。
当時の、「濡木+杉浦」はSM雑誌の写真における、ゴールデンコンビでした。
また、濡木氏と不二氏は、現在も大変親密な関係にあることは言うまでもありません。
これらの、SMをキーワードにした、「友だちの輪」こそ、アートスタジオというSM
ビデオ製作会社の原点なのではないでしょうか?
彼らの一部あるいは全部が、商売としてではなく、趣味としてのSM嗜好を持っており、
趣味と実益を兼ねた新しい活動が、アートビデオの原点ではないでしょうか?
この集団は、アートスタジオがアートビデオを正式名称とする、82年から83年にか
けて、絞りこまれ、峰=黒田体制が確立して言ったのではないでしょうか。
このあたりの人間関係、利害関係などの経緯は、当事者達が語らない以上、知る良しも
ありません。
言うに言われぬ摩擦もあったのでしょうか、このあたりの経緯については、峰氏も言葉を
濁しているように思えてなりません。
峰=黒田のラインは、その後数々の名作を世に送り出します。
そこらあたりについては、改めて述べるまでもありません。
今回の、アートスタジオの正体(前後篇)については、私の推測による話の組み立てが
大部分であります。異なる情報等ご存知でしたらご教授くださいますようお願い申し上
げます。
■パクリか?使った者の勝ちか?(笑) 投稿者: マンボウ 11/12[Sat] 19:12:24
アートのシリーズ化、ありがとうございます。
これからも、頻繁にとはいかなくとも、少しづつ書き続けたいと思います。
アートに限らず、1950年代の性文化の記録は、一部の書物をのぞき、記憶の彼方へ消え
去ろうとしております。
自分達の青春(性春?)の記憶の一ページとして、段々に消え行く事は寂しい限りです。
懐古万能とは言いませんが、現代の文化全般に、「趣き」や「情緒」が消えていっている
ように思えてなりません。
そういう時代といってしまえば、それきりですが・・・・。
■アートビデオの謎:〜動くビニ本〜「峰和也から峰一也への変身」 投稿者: マンボウ 11/19[Sat] 20:57:19
前回は、アートスタジオの謎という表題で、ビデオ制作会社以前のアートスタジオ(ア
ートビデオの前身)がビニ本制作会社であったという件について述べました。
今回は、83年以降、軌道に乗ったアートビデオの両輪ともいうべき峰=黒田コンビの
一方の雄、「峰一也」氏の、アートビデオスタート以前の経歴について述べてみたいと
思います。
今回も結論から先に書きましょう。
「アートビデオ・峰一也」の前身は、「SM写真家・峰和也」であった。
峰氏は以前、SM写真誌のインタビューで次のように語っています。
「以前、写真を撮っていた時の経験から、女体が一番引き立ち、美しく写るには、バッ
クを暗くすることだと経験上知っていたので、アートビデオでもその手法を取り入れた
・・・・」
そう、峰氏は自らを写真家であると、自身の口で語っていたのです。
では、それは事実だったのでしょうか?また、事実ならどの程度、活躍していたのでし
ょうか?
そして、その証拠は?
ここに、SM雑誌のS&Mコレクター1982年5月号の目次資料があります。
ちょっと分量が多いのですが、すべて転記してみます。
S&Mコレクター1982年 5月号
サン出版
昭和57年5月1日発行
254P
表紙 大沼ゆたか
目次カット 秋吉巒
目次 武石亮爾
イラスト 清水聡
目次
巻頭読切連載 蜜色の喘ぎ 松井籟子 画・福野佳宥
カラー緊縛 黄昏の性裁 カメラ 峰和也
カラー緊縛 淫虐卒業式 カメラ 花田孝雄
女囚弄虐 肉花の舞い 山内淳 画・西村寿海
緊縛フォト 芽むしり痴戯 カメラ 柴田淳
二色イラスト 怨夢 小妻容子
十代告白 誰か覗いて! 排泄シーンを! 宮崎江梨子
人妻告白 ブルーデーに狂う私の秘癖 田村ゆう子
M派読物 十倍M保険 鬼山絢策 画・春川ナミオ
実戦シリーズ 縛り方入門 豊幹一郎
プレイ体験 3Pに爆ぜたマゾ牝 倉本宏
調教日記 牝犬京子の恥芯 細川英二
ロープハント 濡れた被虐花 佐藤勝次
獣欲奇書 女人の記 奇流良 画・林之通
女王様イラスト 甘美な警備員室 春川ナミオ
淫虐嫁いびり 蒼ざめた美唇 佐渡好夫 画・小妻容子
哀繩カラー 晒された秘悦 カメラ 高田孝行
M派劇画 ワイフは女王様 たつみ良行
隷女フォト 熟れた繩愛天使 カメラ 不二秋夫
マニア淫写 H氏の美しき隷獣 カメラ 平川陽介
美少女玩悦 淫魔の狂宴 蝮家きよし 画・鬼頭暁
悦虐巨編 緊縛肉盗伝 祖父江新 画・椋陽児
上記でお判りの通り、「カラー緊縛 カメラ 峰和也」と記載されています。
この[カメラ 峰和也]こそ、「アートビデオの峰一也」の前身だったと思うのです。
さらに、特記すべき事項として、「不二秋夫」や「豊幹一郎(=濡木痴夢男)」の名前
を発見できます。
そう・・・・・、前回私が推測した、アートスタジオの初期ビデオ創設メンバーではな
いかと思われる方々がずらりと並んでいるではありませんか。
やはり、前回推理した「SMの輪」は存在したのです。
さらに、想像を膨らませると、峰和也の写真の照明は、アートスタジオのスタッフだっ
たのでしょうか。
黒田氏もスタッフとしてその中に、いたのでしょうか。
あるいは、別名で上記の目次の中に記載されているのでしょうか?
さて、話を「峰和也」に戻します。
マンボウの持っている資料で見る限りでは、写真家峰和也の名前が「S&Mコレクター」誌
にはじめて登場するのは、
1981年2月号「カラー緊縛 あぶない年頃 カメラ 峰和也」
で、最後は
1982年6月号「カラー緊縛 したたる玩弄 カメラ 峰和也」です。
(同年7月号のデータがないため7月は不明)
それは、ちょうど、峰氏のインタピュー記事に「アートビデオの第1作は1982年
9月?の『地下室の淫魔』・・・・」という時期にピタリ合致します。
では、SM写真家・峰和也は、アートスタジオ(アートビデオ)の活動に一気に移行し
たのでしょうか?
実は、そうではなさそうです。
資料では、「峰和也」の名前が消えた1982年8月、突然「悦虐カラー 受刑痴獄
カメラ 『峰村和彦』」という写真家が峰和也の後を埋めるように登場します。
「峰村和彦」の名前は、翌月号でも「悦虐カラー 受刑痴獄 カメラ 峰村和彦」で登
場します。
わたしは、「峰村和彦」は峰和也のアートビデオ発足後の写真家としての別名だったよ
うに思えます。
そして、SM写真(グラビア)の世界に未練を残しつつ、アートビデオの成長とともに、
ビデオ制作に専念するようになったのだと推理します。
あいにく、当時のコレクター誌はすべて処分してしまい、峰氏の撮影した画像を今のと
ころ確認できないのは残念です。
また、当時百花繚乱の状態にあった他のSM雑誌で、「写真家 峰和也あるいは峰村和
彦」が活躍していたかどうかは、現在のところ不明です。
(コレクター以外の1982年頃のSM誌を数冊まだ持っていますが、撮影者の名前は
ほとんど記載されていないので確認できませんでした。)
アートビデオの初期のキャッチフレーズは「動くビニ本」、あるいは「ビニ本を凌ぐビ
ニール・ビデオテープ」でした。
http://www.st.sakura.ne.jp/~nishimu1/0000211M.jpg
峰氏の経歴は、ビニ本会社「アートスタジオ」からSMビデオ製作会社「アートスタジ
オ⇒アートビデオ」であり、文字通り、アートと共に歩んだ人生だったのです。
■峰和也は決して誤植ではなかった 投稿者: 西村 11/20[Sun] 20:48:22
すごいです。
マンボウさんの仮説の決定的証拠発見ですね。
>S&Mコレクター1982年 5月号
この頃は狂ったようにSM雑誌を見ていました。S&Mコレクターはモデルがあまりきれいでない分、
隠微さがあったように思います。
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