黒田透から夢流ZOUへの道
(最終更新日:2005年11月12日)
マンボウさんの謎解きアートビデオその1
「黒田透から夢流ZOUへの道」
マンボウさんの力作「謎解き アートビデオ」シリーズから。黒田透がなぜ夢流ZOUに向かったのかの仮説です。またレッドさんからも貴重な情報を頂きました。
■アートビデオ:峰一也氏の功罪 投稿者: マンボウ 07/22[Fri] 02:52:51
峰一也氏・・・・。
言わずと知れた、この業界でその名を知らぬものはいないといって良いほどの著名人。
彼は、探偵団の中でも紹介されている通り、アートビデオの監督として、またミネック
シリーズに代表される、逝かせシリーズの俳優(兼監督)として有名です。
峰氏は、1982年のアートビデオ最初期から、1989年9月発売の「犬娘」まで、
178作品の全てを監督し、数々の名作を世に送り出しました。(アートHPより)
やがて90年代に入ると、シビアなSMを愛するアートフアンから酷評された、逝かせ
シリーズを数多く手がけ,自ら出演し、ミネックなどと自称するようになります。
彼は80年代のアートの作品には、公式には一度も出演せず、裏方に徹していた事にな
っていますが、数本の作品にチョイ役で、峰氏らしき出演者がいたように思えてなりま
せんが、私の勘違いでしようか?これは、また別の機会に検証してみようと思います。
アートビデオの80年代の作風は、あたかも写真家杉浦氏の往時の作品を思わせる、全
体に暗く、特にバックが黒っぽい映像で統一されています。
ご本人のインタビュー記事では(出典記憶なし)、峰氏はSM写真(グラビア?)の仕
事もしていたらしく、その経験から、「SM画像(映像)のバックは黒が一番女性が映
えるということを感じ、ビデオでもその手法を取り入れた。」と述べていました。
80年代のアートビデオは、20世紀最高のSM男優、黒田透、カメラマンの斉藤茂介
(後に監督)など、優れた個性ある俳優、スタッフにも恵まれ、最盛期を迎えます。
また、峰氏は、プロジューサー(新人女優の発掘や撮影の段取り)としての手腕もなか
なかのもので、たとえば、あの名作「美畜W」の小泉ケイをSMの世界に発掘したのも、峰氏のようです。
小泉ケイは、美畜Wが、デビュー作ではないようですが、そのSM女優としての適正を
発見し、親の目を盗んで峰氏自身が連絡をとり、撮影にこぎつけたというエピソードが、当時の雑誌に書かれています。
90年代にはいり、アートビデオが、その作風を変えてしまったのは、作品がマンネリ
気味になってしまった事とともに、黒田氏の男優引退と無縁ではありません。
黒田氏の現役引退については、娘が年頃になり家族から反対されたという説、インポ説、さる筋とのトラブル説、交通事故による後遺症説など諸説ありますが、真偽の程は定か
ではありません。
いずれにせよ、名優黒田透の引退により、アートがその作風を変えざるを得なかったと
いう事は、間違いないのではないでしょうか?
90年代以降の、監督として、あるいは俳優としての峰氏の作品は、そんなに沢山視聴
したわけでもないので、コメントはひかえますが、一部のSM愛好者には、「あれは、
SMではない」と酷評されました。
しかし、他方で、いままでSMビデオに縁のなかった、一般AV愛好者を、ソフトSM
の世界に取り込み、一定のフアンを獲得している事も否定できない事実です。
いずれにしても、アートビデオの歴史は、峰一也氏とともにあることは、厳然たる事実
です。
アートビデオは、何度となく経営危機に直面したと聞きます。
それでもなお、20年以上にわたって、作品を作り続け、浮き沈みの激しいこの業界で
生き残ってきたのは、峰氏の力によるものではないかと思います。
業界の老雄という看板だけでは生き残れないこの世界、よい作品を今後も作り続けても
らいたいものです。
なお、峰氏は本名河村良雄、(株)アヴァの代表取締役(本業は、盗聴器関連の会社の
代表取締役?)で盗聴器の関係でTV出演した事もあるとのことです。
http://www.acepro.jp/gaiyou.htm
■社長とは、なー。 投稿者: ミスターK 07/23[Sat] 09:09:24
峰さんは、すごい大物なんですねー。
最近の監督作品だけ見ると、あまり高い評価はつけられないが、
この人のおかげで多くの名作が生まれたのも事実なんですね。
あの名作「隷奴・亜理沙」がこの人の作品とは!!
人生、いろいろ、なんですね。
■アートビデオ:黒田透から夢流ZOUへの道 投稿者: マンボウ 07/29[Fri] 23:05:07
アートビデオの歴史は、峰一也とともに、黒田透の歴史といっても過言ではありません。
第一作「餓狼の罠」以後ずっと、峰一也と黒田透は、あたかも車の両輪の如く、アートビデオと共に在りました。
「餓狼の罠」では、数名の男優の内の一人としての出演ですが、第二作「縄恋い女奴隷」では、早くも主演男優として出演し、以後6年間にわたり、アートビデオの殆んどの作品で男優をつとめます。
特に、87年から88年にかけて、アートビデオの黄金期ともいえる時代に、SMビデオ史に残る名作が、男優黒田透、監督峰一也のペアにより、作り出されます。
ところが、その男優としての絶頂期の1988年9月、修羅奴隷2「肉の華」(加賀恵子)を最後に、男優黒田透は、とつぜん姿を消してしまいます。
男優黒田透に、何があったのか?
なぜ、とつぜん引退してしまったのか?
家族がらみという説、トラブル説、病気・事故説などがささやかれましたが、いずれも推測の域をでず、結局のところ永遠の謎です。
では、88年9月以後、黒田はどうしていたのでしょうか?
私は、88年10月の「家畜少女」のビデオを鑑賞している時に、偶然その手がかりを見つけました。
「家畜少女」のエンディングに「脚本黒田透」とあるではありませんか。
以後、同じく10月の「畸型のアニマ」をはじめ、数多くの作品に「脚本黒田透」とあるのを発見しました。
彼は、男優を引退しても、アートビデオから離れたわけではなかったのです。
そして1989年10月、幻の名作復刻シリーズ「餓狼の罠2」(新藤美雪)において、黒田透の名前で監督デビューを果たします。
黒田透の名前での監督作品は、89年から92年にかけての30数作品、その中には「地獄の美聖女」や「秘戯画報」シリーズのような名作もありますが、試行錯誤の末の失敗作も数多くあります。
ところが、92年6月の「隷獣秘書最終章・惨鬼のいけにえ」を最後に、監督黒田透は、又忽然と姿を消してしまうのです。
そして、入れ替わりに唐突に現れたのが、92年7月の「in MADNESS vol.1」における
「夢流ZOU」という、読み方さえ定かでない監督でした。
今でこそ、夢流ZOU=黒田透ということが判明しておりますが、SMビデオフアンの間で
も、「黒田透ではなかろうか?」といわれつつも、確証のないままに時が過ぎていったものです。
監督黒田透、そして夢流ZOUの作風は、時代により多少のブレはありますが、基本的には、黄金期のアートビデオの伝統を受け継ぐ内容の作品であったと思います。
ちょうど、それは峰一也が、それまでのアートビデオにはなかった、「イカセSM?」シリーズを次々に作っていく時期にあたり、80年代と同様に、あたかも車の両輪の如く、「新しい企画の峰一也」、「クラシック路線の夢流ZOU」の二本立て路線が定着していき
ます。
時を同じくして、チャールズ・ヤン、GOLDMAN、斉藤茂介などの新しい監督が登場しますが、中心となってアートビデオを支えたのは、やはり、峰一也、夢流ZOUの両監督で
あったのです。
夢流ZOU監督の作品には、ボンデージ系の作品もかなりありますが、やはり、クラシック
な麻縄緊縛による責めの作品に、彼の真髄が見られるように思います。
シリーズ物も多く、「猟奇の檻」「秘戯画報」「極道の贄」「奴隷堕ち」シリーズなどはいずれも水準以上の作品であり、アートの伝統を受けつぐ作品であると思います。
個人的には、「悦虐の縄人形」(工藤ひとみ)、「幼な妻奴隷調教」(河合ゆかり)、「奴隷通信No.8」(江田かおり)、「縄悦其ノ一」(はらだはるな)などが好きな作品です。
ここ数年、夢流ZOU監督の新作の数は、少しづつ減少しているような気がします。
代わりに、TODO、RYUJI、Etsurou など、夢流ZOUの流れを受けつぐ、若い監督の台頭が始
まります。
彼らは、師匠、夢流ZOUが大切に守ってきたアートの伝統を受けつぎ、なおかつ新しい時
代に即したSM作品を目指しているように思われます。
まだ、経験が浅い為か、完成度がいまひとつの作品も見られますが、将来が楽しみです。黒田透=夢流ZOUの年齢は不詳ですが、アート創成期(80年初頭)に30歳代と仮定す
ると、現在60歳前後。まだまだ、老け込む歳ではないはずです。
彼にしか出来ない、SM作品を、もっと、もっと作り続けて欲しいと願わずにはおられません。(年代や作品など、私なりに調査して記載しましたが、勘違いなどありましたら、ご指摘下さいますようお願いします)
■RE:黒田透から夢流ZOUへの道 投稿者: レッド 07/30[Sat] 00:43:29
すみません。レッドと申します。
>男優黒田透に、何があったのか?
私が持っている本に峰一也のインタビューがあり「それには家庭のことでAVに出演できなくなった」
と書かれています。
また、
ここでアートビデオの第一期は終わり、男優さんを使って彼が監督を
するようになった。
それで僕は僕で作ろうとその時からまた違うことをはじめた。
やっぱり生々しいヤツがアートの売りだから作り物で作っても面白くないしさ。
ドラマはあくまでドラマだしね。僕のほうはどっちかっていうと本物ぽい
イカせ路線で作ってやろうと、そんな方向でやっているうちにとうとう自分も
出演するようになった。と書かれています。
また歴史として
昭和58年10月1日
有限会社 河村設立 ブランド名がアートビデオ
アートビデオの設立前の「アートスタジオ」の幻の処女作は昭和57年9月ころ
通販販売のみで売れていた「地下室の淫魔」
今まで一番売れた作品は愛奴恵・K 中川えり子」となっていました。
(少し古い本ですので今はどうなっているかわかりませんが)
■RE:現役東大生正答率0%の問題 投稿者: 顔固 07/30[Sat] 12:46:17
マンボウさん、どうも有難うございます。
黒田透論も大変興味深く拝見させていただきました。
なかなかこの手の情報がなく、非常に貴重な仮説として価値あるものだと
思います。
今後も是非、研究活動に精進していただき続編を楽しみにしております。
■いろいろレス 投稿者: マンボウ 07/30[Sat] 21:00:03
○レッドさん
貴重な情報、ありがとうございます。
疑問の一部ですが、解消できました。
すみません、一つだけ・・・・。
アートスタジオ「地下室の淫魔」は1982年では?と思うのですが・・・。
○顔固さん
黒田透、お読みいただきありがとうございます。
今となっては、ある程度傍証を元に、推理を積み重ねるしかないのが
われながら、もどかしい事です。
ただ、いくらかでもわかる範囲で、個人的に整理しておきたい気持ちで
一杯です。
■RE:いろいろレス 投稿者: レッド 07/30[Sat] 21:42:31
すみません。レッドです。
○マンボウ様
>アートスタジオ「地下室の淫魔」は1982年では?と思うのですが・・・。
1982年=昭和57年ですので1982年だと思います。
このころはバンドをやっていてそれが忙しくてビデオのほうは遊び半分だったそうで。
また、私が参考にした本は司書房のSM巨乳美女乱舞館 vol2です。
>疑問の一部ですが、解消できました。
これは黒田さんのAV出演のことでしょうか?
家庭のことでAVに出演できなくなった。と書きましたが、本にはすこしその内容が
記載されています。ただ掲示板にそこまで書いていいのかというのがありましたので
抽象的にしました。(あーやっぱり。みたいな理由です)
■RE:いろいろレス 投稿者: マンボウ 07/30[Sat] 22:48:58
○レッドさん
>1982年=昭和57年ですので1982年だと思います。
すみません。この件は私の読み違いです。
57年を19××と思ってしまいました。
お詫びします。
>(あーやっぱり。みたいな理由です)
存じてます。過去に他の掲示板にもその原因の書き込みがありました。
ただ、出典など確証がありませんでした。
やむを得なかったのでしょうね。
黒田氏は包帯男が得意役だったので、それ専門でもいいから
残って欲しかったです。(笑)
■アートビデオ:黒田透のその後(追記) 投稿者: マンボウ 08/01[Mon] 20:38:09
前回、「黒田透から夢流ZOUへの道」を書き込んだ後、思いがけないところで黒田透の姿
を発見しましたのでご報告します。
既に触れたことですが、男優黒田透の最後の勇姿?は88年9月の「肉の華」という作品
です。
ところが、89年3月発売の「縛りの裏舞台」というオムニバス作品の中で、スタッフの
一員として?動き回る黒田氏の姿が映っていました。
88年12月の「狂楽の花芯」という作品のメイキングで、この作品の最後のシーン、全
裸で狸吊りされた竹下美久が速水健二に浣腸され、最後は半失神状態になり、あわてて駆
け寄るスタッフの中に、元気な黒田氏の姿がありました。
やはり、彼はビデオの画面から消えても、SMの現場に、ずっと存在していたのだと確認
できました。
大昔の事なのに、なぜか、ああ元気だったんだ!と懐かしく思ってしまいました。
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